liddell the teaching dog 33 バット・グッドマンのことば。
前回のお話にはたくさんの反響をいただきました。
スピッツ一族は、その後、Liddellたちを見かけると喜び勇んで吠えて(もう、威嚇するような吠えではなくなりましたよ)再会を喜んでくれるようになりました。
“あえたねっあえたねっ
かわりない
”
そうしてひとしきり、再会の喜びのダンスを披露しあい、再び別れるのです。スピッツの飼い主さんもニコニコです。
対立を避けるカーミング・シグナルは、犬はもともと持ち合わせているのですが、では、なぜ、それを活用できない犬がいるのでしょうか?
カーミング・シグナルを発することができる犬にするためには、人がそのシグナルを読み取る必要があるでしょうし、それを活用させる場を犬にも与えなくてはならないのですね。
では、本日はその様子を犬たちの行動からご覧ください。
こちらの3頭。柴の福丸、コーギーのわんわん、アメコカのチーズですね。
この3頭は、どちらかというと順位争いのフリープレイです。
人でいうところのレスリングです。
年も近いのですが、よきライバルのわんわんと福丸の中にチーズが入り始めてきています。
特に、わんわんは近ごろ、チーズをよく転がしたり、どついたり、追いかけまわしたりしてます。
自分のほうが、強くて順位が上だと、知らしめているわけです。それはそれで、悪いことではありませんよ。わんわんの正当な主張ですから・・・。
でも、犬がこういった遊びをしているときに、人が気をつけなければならないことは、遊びとケンカの見極めですね。
それから、3頭で1頭を追いかけまわすような遊びは、犬の捕食衝動を引きだしてしまうこともありますからね。
チーズを追いかけまわしているうちに本気になってしまったのをLiddellが間に入って止めたところです。
Liddellのシグナルは、少し強いシグナルを出しています。
“やめなさい、相手はまだほんの子犬ちゃんじゃないの”
わんわんは、においをかぐというカーミング・シグナルで自分を落ち着かせようとしているし、Liddellにもそれ以上の強い態度を望んでいないことを伝えています。
人にも、こうした態度をするときがあるはずですよね。強く呼び戻しをした時とか、イライラして指示を出した時とか・・・けっして、人をバカにして無視しているんじゃありませんよ。
やはり、これも2頭でチーズを追いかけまわしてしまい、Liddellに割って入られたところですね。
Liddellのシグナルに顔をそむける2頭・・・。
カーミングですね。
視線を相手からずらすのも、カーミング・シグナルですよ。
このシグナルを受け入れることのできる犬は、お互い対立を避けられます。
Liddellもこのシグナルを自分のシグナルを受けれたと理解し、これ以上、強く出ることはありません。
福丸とわんわんのチーズへのあたりの激しさがおさまらないので、Liddellが割って入ったところです。
割って入る前に、チーズからの“もう、降参”のシグナルが二人に出ていたのですが、読みとってもらえなかったので、Liddellが割って入ることでその場をコントロールしてます。
遊びから本気にならないように監視は必要です。
Liddellは、今、その役割を、誰からの指示もなくやってくれています。
人同士、犬同士、もしくは人と犬が接近しすぎて緊張や不安が高まりそうになった時、多くの犬は互いに接近しすぎた者たちの間に割って入って、争いを防ごうとするそうです。
こういったシグナルは、犬たちのために人も活用するべきだと、トゥリッド・ルーガスは言っています。
チーズも頭を下げていますね。
Liddellの表情も先ほどのわんわんとの会話とは違う、穏やかな表情をしていますね。
“わたしが遊んであげるわね。もう、あのふたりにはまかせておけないわ”
“つよいねぇちーず。そうそう、い子ねぇ(o^-^o)”
少し凹んでいたチーズの気持に自信を取りもどすことができているようですね。
こうして、子犬に仲間と遊ぶことは楽しいことと、教えていくようです。
自分に自信がないと、相手に腹をさらけ出すなんてことはできないんですよ。
Liddellが自分を低くし、首に咬みつくように教えています。
噛みついていいところを教えるのもTeachingですね。
遊びとは、その役割が入れ替わらなければならないし、一方的に相手を痛めつけるようでは、遊びとは言えませね。
“いじめ…”に、ならないようにしないと、いくら負けん気の強いチーズでも犬嫌いになる可能性はあるのです。
“もう、やめて、もう、怖い”とった、相手のシグナルを読めない犬と遊ばせるのは、犬の最終兵器、牙を使わせることになります。
かすかなシグナルを読みとる人になれば、犬との対立を回避できるのですから・・・。
「犬語の世界にようこそ」から、ひとこと。
「オオカミの群れの社会動態学はしばしば犬同士または人と犬の関係モデルとして活用されます。私はしばしば、攻撃的な手法によってのみ自らの上位を維持できる、という考えから離れられず、力ずくで動物を支配しなければ、それに服従するしかない、と信じている犬の専門家(そして時にはオオカミの専門家)と遭遇します。これには二つほど問題があります。1つはこのような接し方が相手の攻撃性をさらにエスカレートさせてしまう可能性のあることです。もう一つは強制的支配又は服従という二者択一の構図が必ずしも、オオカミ、犬、そして人間にとっての唯一の与えられた道ではない、という点でしょう。」
バット・グッドマン/ウルフパークのことば。
では、みなさん、よいと年をお迎えくださいね。
それから、勝手にベツレヘムの娘は無事にしました。
心配してくださった方、ありがとうございました。
最近のコメント