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2009年10月 5日 (月)

河っぱらのジーさん。

へちまこのよくいく河っぱらに、小汚い雑種のジーさんがいつからか住みついた。

なんのこともない、ただの無害な年寄りな犬。

でも、このジーさん、かなりの賢さがあって、自分を一度でも捕獲しようとした人間には二度と近寄らなかった。

天気のいい冬日には、その、ベルガマスコのようなドレッドヘアーとなった毛皮を虫干しにしていた。

のどかな春の日には、きれいに刈りこまれた芝生のど真ん中で寝ていた。

夏の夕暮れには賢者のようなジーさんの後ろ姿をよく見た。

ススキやパンパスグラスの生い茂る川岸を、てくてくと歩く姿を見た。

ある日、行政の動物係から連絡がきた。

「川原の犬、へちまこさん、捕獲できる?」

「なぜ、やつはおとなしいよ」

「草野球の子どもたちの父母から、犬がいて危ないっていうんだよ。」

「ジーさんは、危なくないよ」

「わかってるけど、警察に通報しちゃったから、法律上、捕獲しないとまずいんですよ。へちまこさんなら、あの犬と知り合いでしょう?」

「・・・・・」

「いや、これまで、何度かうちの職員と捕獲しに行ってるけど、捕獲機にも入らんし、懐くようすもないんで・・・どうにか捕獲手伝ってもらえますかね?」

「いやだっ

そんなことはとうに知っていた。

ジーさんを追いかけまわす、職員を遠目で「フンっ」と、笑ってやった。

ジーさんは、人を噛んだり、子どもを追いかけまわしたり、ご立派な飼い主がいる飼い犬にケンカを売ったり、卑しく食べ物をねだったりなどしない犬だ。

どこかで人間を信用したくないという、ジーさんなりのポリシーがあるようで、いつもある一定の距離を置いて人間とつきあった。

数名の河っぱら愛好者が、そのジーさんの意思を尊重して、その日のジーさんの食べ物だけはジーさんが安心して摂れるように葦の生い茂る中に置いた。

どうして、何もしない犬を危険だとするのか?

犬がいるだけで危険なのか?

ジーさんが一体何かしたのか?

どうして、あの親たちは、子どもたちに

「あの犬は年寄りでもう老い先短いから、見守っていこうね」

と、教えることができないのだ・・・。

「事故が起こってからだと遅いから・・・」

あの年寄り犬に何ができるというのだ。人間を信用しない、孤高のジーさんだ。

きっと、人間から辛い目に何度もあっているのかもしれない。

それでも曲がらない心は、人と付き合うには距離をとろう、と、学習したのだろう。

幾日か、ジーさん捕獲作戦が敢行されたが、ジーさんを捕まえることはできなかった。

ジーさんを捕まえるために捕獲機の中におかれた唐揚げが、干からびていくだけだった。

人間は、自分たちとは異なる異質なるものに恐怖を抱く。

それが、あのぼろ布をまとったようなジーさん犬だなんて・・・。

ジーさんのリードにつながれない自由な暮らしをねたむ飼い主からの通報だってあった。

そんな、数年が過ぎて、いつも通りの秋がきて、久しぶりに河っぱらに行ったら、ジーさんの姿を見ないという。

もう、だいぶ経つという。

ああ、ジーさん、もしかしたら、もうこの世界にいない?

ジーさんは、人間が嫌いなんじゃなくて、人間が信用できなかっただけだよね?

だって、リデルやワンダーがいるときには、割とそばまで来てくれてそのまま寝ていた。

いつだったか、やっとへちまこの手から食べ物をもらってくれたときのことを思い出したよ。

やっぱり・・・ジーさんは、ただの犬だって・・・ただの犬だって、思った。

Dc0906210 そんな名もないジーさんのお話でした。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

切ないです。
犬は犬として生きているだけなのに…。
人間の都合でいのちを、暮らしを奪われる。
「野良犬」が、自分が勝手につけたものでも名前を持つだけで、
確かな、大切な存在になる。そういうことって、子どもたちにとっ
てすごく大事な経験だと思います。

panさん、コメントありがとうございます。

名もないジーさん犬を気にかけてくださり、ジーさんも「人間って捨てたもんじゃない」と、思ってくれたかもしれません。

ジーさんは、捕まってあの鉄の箱の中で死んだんじゃなくて、河っぱらの葦の茂みの中のどこかで眠り続けているって、愛好者さんたちは、そう、みんな言っています。

私もそうだと思っています。
あの歳では今年の夏を乗り切れなかったのかもしれません。

最期まで、人につながれることのない自由な犬として、ジーさんは生きていたかったんだと思っています。

読んでからすぐに書き込むことができませんでした。

『孤高の犬』
されど『ただの犬』

彼だって人に愛されたかったに違いない。
人を愛したかったに違いない。
そう思うとたまらない。

でも、もし、もうこの世にいないのなら、たとえ孤独であっても、彼は安らかに命を全うしたんだと納得したい。

そしてまた『処分』される『命』があることを忘れてはならないと改めて思います。
自分は何もできないけれど…。

母よ。

涙してくれて、ありがとう。
ジーさんのために泣いてくれる人は、そうはいないだろうから。

私の子どものころには、野良犬などはそこここにいて、学校の用務員さんも住み込みでいたから犬も飼っていた。
もちろん、怖い犬もいたけど、だいたいがジーさんような犬だった。瀟洒な家の庭を住みかとしていた飼い犬のほうが、塀越しにやたらと吠えかかってきたけど、野良公たちは駄菓子屋までついてきて、ちゃっかりおこぼれをもらい、子どもらに好き勝手な名前をつけられていた。

ジーさんは、昔々の日本の下町の中に生きていた、人と共生できる犬だったと思う。

河っぱら愛好者の誰もが、ジーさんを見守るという形で、愛してくれていたと思う。

この記事を読んで…子供の頃 出会った野良くん達を思い出しました。
クロベエは…
ムクは…
皆 処分されることなく生涯を全うしたのかな?って…

学校から帰って家でおやつを食べて…少しだけおやつを持って友達と集まってクロベエやムクにあげたりしてたな…お菓子は手から食べるけどベタベタと撫でたり触ったりさせてくれなかったですね…
ジーさんがもしもぅこの世にいないのなら…ジーさんの第二の人生を誰にも邪魔されずに…やっと見付けた自分の居場所で人生全う出来たことを心から祈るばかりです。

マヒナさんへ。

コメントありがとうございます。

マヒナさんにも心の中に住む犬がいるんですね。
人につながれることのない犬たちは、昔のように街頭では見かけることがなくなってしまたっけど…。

温かい家、たらふくのごちそう、きれいな犬服…どれもジーさんには縁のないものだったけど、ジーさんは、幸せだったと思います。

人に奪われなかったジーさんの生なのですから。その生を、寿命という終わり方で全うしたんだと思っています。

私がまだ学生だった頃、
港の工業地帯のある大きな会社の敷地に『高橋』と名付けられた雑種の犬が居ました。

敷地の外から一番目立つ場所に手作りの犬小屋が置かれ、『高橋』と表札が付けられていました。

朝、次々に出勤して来る会社の人達を、穏やかで、世の中を達観したような佇まいで静かに出迎えていました。
人や車の往来が増える時間は、その色褪せた犬小屋にじっと居て、まだ人通りの少ない早朝などは、ゆったりと、自由に散策していました。
人懐こい感じはしなかったけれど、会社のおじさん達に愛されてるなぁと思ったものです。

私の家からは遠かったけど、思春期だった私は時々自転車を飛ばして、海の匂いや太陽の暖かさと共に『高橋』を見に行っては自由と穏やかさを感じるのが大好きでした。

どうして『高橋』なんだろう…?と思いましたが、『高橋』は『高橋』だったのです。

『高橋』ももうこの世にはいませんね。

へちまこさんの記事を読んで、じーさんの中に『高橋』を思い出しました。

事故が起きてからでは遅い…もっともらしく聞こえる台詞なんですよね。
人間は排他的です。
地球をシェアしている様々な命の上に立とうとする。

臆病で傲慢な大人は、命に歩み寄り、共生する道を子供達に教えられない。
子供はさらに排他的な大人になるのかも知れません。

人間に対してでさえ、自分の許容する姿をしない人達を、排除しようとするのかも知れません。

じーさんの心が選んだ道は、ちょっとばかり人間の悲しさを背負ったものだったのかも知れないけれど、それでも自由で幸せだったのだと思います。
今はもっと自由で安らかな心でいるのでしょうね。
『高橋』と一緒に。

(みぃ)さん、(みぃ)さんにも心の中に住む犬がいるんですね。

『高橋』も、マヒナさんの『クロべエ』、『ムク』も、つながれない自由と引き換えたものは、人の手の暖かさだったのかもしれないけど、犬たちは自分の置かれた状況などを呪ったりはできないでしょう。

でも、一概にそれが飼い犬になれない不幸だとは思ってはいません。窮屈そうな犬服を着せられ、ブランドの首輪をして、つながれない暮らしをしていても、その暮らしがその犬に合っていなければ、やはり不幸だと思うのです。

『高橋』とジーさんがあちらの世界で出会えたかどうかは定かではないですが、あちらの世界の犬たちには首輪も鎖にも繋がれない自由があると思いたいですね。

そこには人間がいてもいいと許されるのか・・・。

少し気がかりですね。

(ゼッちゃんの全快、ヽ(´▽`)/です

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