我が家定番の公園の桜も散り始めましたねぇ。散りゆく桜は美しいですね
今日はFuntasの日でした。良いお天気に恵まれましたが、太助やパル、さんご、qoomamaさん家がお休みでちょっとさびしいレッスンでした。
(ちょっと、びっくりTeaching dogの記事が100回目なんて、お祝いですかねぇ、みなさん
)
このFTのレッスンをこの公園で始めてから、早、2年。ここの犬たちを見ていると理想のコミュニケーションクラスができつつあるんじゃないかとtaskの先生、Fさんと話した。
犬の社会化のためにドッグランに行く人と言う人はかなりいるし、少し前までは社会化のためにドッグランへ行くことを推奨するトレーナーもいた。
でも、へちまこもそうだが、へちまこの周りで犬関係に携わる(トレーナーやらインストラクターやら)人たちは、今や、そんなことは口が裂けてもお勧めなどできないという。それほど、あちこちに乱立するランは危険な場所になりつつあるのだから。
そもそも犬の社会も人の社会と同じで、年上、年下、年の近い、離れた、子犬、老犬など、さまざまな年齢で構成されているはずだ。だから、社会化ができるのだと思う。
子犬や若犬の自分のエネルギーの消費させるだけで、順位争いばかりや無秩序な犬ばかりが集うランでは生産されるものなどないに等しいと思うし、それこそ犬社会の社会化を失敗させることになる。
アンジェラがいう犬のコミュニケーションクラスとは、その場をコントロールできる管理者(α)がいて、指導者(β)がいて、群れのムードメーカー(ω)がいて、そこに遊び友だちがいることが理想なのだ。
ただ単に犬同士で遊ばせていれば社会化ができるわけじゃない。そこにはちゃんとしたTeachingができる犬たちがいてこその社会化なのだと思う。
TeachingDogは生まれながらの素質は必要だろうが、その犬たちもTeachingの動きができる犬から学び、受け継ぐことができなければならないのだから。
さて、今日はケルピコのかりんがコミュニケーションの勉強に来ました。ずいぶんと大きくなり身体もしっかりしてきました。ハスキーのキャンディは、少しお姉さんぶりたがっていますが、かりん、ちょっと怯えてますね。
キャンディ、ここは先輩としてかりんをうまく遊びにお誘いできないと、コミュニケーションクラス代表として、どうかしらね。
キ『ねぇ、わたしね、キャンディよ。どう、遊んであげるけど、どう』
か『ううう、どうしようかな。まだ少し待ってください
』
キ『ねぇ、あら、お水。いいわよ、わたしまったげるからね』…やさしいキャンディです。
すごいっ
キャンディ、お姉さんになったねぇ~~
以前のキャンディなら遊びたいという(自分だけが楽しみたいという)思いが強すぎて、相手のことなどお構いなしでしたが成長の証ですね。
犬は相手を思いやる気持ちがある高度な社会的な生き物なんですよ。
キャンディは、もともと遊び好きで犬の同士の関係作りもうまかったのですが、オス犬の友だちの比率が多く、いわば、お姫様状態でした。オス犬たちは本能的にメスには優しくしてくれますし、キャンディのわがままも快く聞いてくれたのでしょう。
でも、キャンママさんは、『このままでは何か足りないものが私のキャンちゃんにはあるわ』と思い、この場に参加することに決めたのです。
忘れもしません。キャンディがリデルと久しぶりの再会をした日。そう、この場にはじめてきた日。キャンディは、リデルの強烈な拒絶にあったのです。
今までは、自分をこんなに叱りとばす犬などに会ったことのないキャンディにとって、リデルは一筋縄ではいかない、局
的な存在になった瞬間でした。
『ねっ
キャンちゃんはぁ、怖くないのよん。ねっ
遊んだげる』
キャンディの必死?のかりんへのアプローチ、すばらしいでしょ。あの、going mywayだったキャンディの目覚ましい犬語の完成度ですね。
かりんのシグナルはどうですか?先ほどよりは身体が柔らかいでしょ。だいぶ緊張が解けてきてますね。強引に誘わないでよかったね、キャンディ
焦らない焦らない・・・。以前のキャンディなら“わーいわーい、あそぼー”で、体当たりをかましてましたが、相手の出方をよく見てますね。
キャンディは初めのころ、リデルからの教育的指導を素直に聞き入れることができないことも多く、リデルにムキ顔をし、幾度となくその数倍ものお返しにあっています。傍から見ればキャンディが気の毒に思え、リデルがキャンディをいじめているようにも見えます。
キャンママさんもいたたまれないことがあったんじゃないかと、その胸中を察したものでした。でもキャンママさんのすばらしさは、リデルのキャンディに対する行為をよくわかってくださり、見守り続けてくれたことでした。m(_ _)mありがとうございます、キャンママさん。
非力なまろを追いかけまわしては、太助に叱られケンカをしてしまったり、リデルに睨まれ小娘呼ばわりされてたキャンディですが、その進歩は眼に見える形で表れてきたんですね。
それを、人は、成長と呼ぶんだよ、キャンディ
あの手この手を使い、遊びに誘うキャンディもすばらしいTeaching dogです。かりんにも笑顔が見られますね。
遊びとは、自分だけが楽しむだけではなく、相手にもちゃんとサービスできなければ遊びではないんですね。
一方的に咬みまくる子、一方的に追いかけまわす子、相手が誘いに乗らないのに飛びかかる子。耳を咬みまくる子、お辞儀や年上の犬に対する礼儀のない子、無礼な子の区別がついていますか?
区別がつかないのに犬同士で遊ばせる危険性を感じてほしいと、へちまこは思ってますよ。
管理者の登場ですね。キャンディとかりんの遊びがヒートアップしてないか?ちゃんとルールを守って遊んでいるか?
どうです。リデルの威厳のある歩み。実にゆっくりと近付いて行きます。走りこむなんてことはしません。この場をコントロールできるTeaching dogの介入は実に華麗で見ている人間にも安心感を与えてくれます。
キ『わたしね、うまく遊べてるでしょ。上手でしょ
』
リデルの介入に動きが止まりましたが、キャンディは満足顔ですね。リデルをこの場の管理者として受け入れているということになります。
かりんはリデルに敬意を表していますね。
リ『すべてこのよはこともなしネ。それでよろしい
』
子犬には犬語を学べる機会を数多く与えるべきだとは思ってますが、社会的なシグナルが機能しない群れなどは、それこそなにも実らせないんですね。
穏やかな犬たちと正常な機能を持つこの群れ。
この場に集える犬たちは実におしゃべりで語彙が豊富だ。
そこには群れを機能させ任せられることのできる、数々のTeaching dogの存在が欠かせないのだと、今日の犬たちを見て強く思った。

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