Liddell The Teaching Dog 101 フレンドリーという不安定な感じ。
近ごろ、へちまこは犬のフレンドリーさというものを考えています。
巷の犬飼い人の多くの方が、みんなと仲良くできる?犬が理想で誰とでも遊べる子にしたいという、そういった希望までお持ちらしい…。
でも、どうなんだろうか?
人もすべての人と仲良くできるのか?すぐに友だちになれるのか?
それは、表面的な仲良しさを良しとする人ならではな考えだと思うのだが、犬たちの仲良しさは、もっと深い内的なところで平和的な仲良しさを求めているのではないかと思えるのですが。
毎回言ってるように、大人になった犬は犬と遊ばなくなるのが一般的で、大人になった犬は穏やかな犬との付き合いを求めていると思う。
誰にでも近づき(どんな犬にでも)たがるようでは、自分で自分を守ることもできないのではないかと思うのです。
やはり、犬に求められる社会化とは犬がいてもその存在に慣れている。お近づきになりたくないというシグナルを読むことができて、それに合った行動やシグナルを返せることだと思うのですけどね。それと、戦いたくないというシグナルね。
そして、犬と遊ばない犬に『あら、遊べないんだって、○ちゃん。残念ね』という、自分の犬が誰とでも遊べるという優越感を満足させる言葉を浴びせないでほしいと思うのですよ。
えっ!リデル?リデルは犬が好きだろうと?ふむ?リデルは犬が好きというカテゴリより、Teachingができる犬かどうかで分けているのではと思う。Teachingの必要のない犬には無反応だし、犬界の流儀があればごく自然につきあう。
ただし、危険だと判断すれば、自ら近づくようなとん馬なことはない。だって、自分を守ることを知っているから。
それらもすべて、彼女の成長過程で出会ったさまざまなタイプの同族から学んだことと、本能的に(遺伝子レベルで)備わっていると思うのです。
“おや、太助。遅かったじゃないの。”太助は群れに合流する時には必ず大周りでの合流を選ぶ。この日も蛇行と地面の匂い嗅ぎを繰りかえしつつ、ソーシャルディスタンスを目測しつつ、リデルに自発的アイコンタクトで自分を認知してもらおうとしている。太助母も太助の動きに合わせていリードを緩ませながら太助の自然なシグナルを邪魔しないように太助が自分でこの場を離れるのを待っている。それができる太助母がすばらしい~と、感じた日。
さて、前回の“コミュニケーションクラス”というものの存在について、少々ご質問をいただいてますが、まず、それはなんだということと、それに入るのはということにつて、少しお話ししておきますね。
本来ならばこの時間は、Fun taskと呼ばれる、犬に楽しいお仕事を覚えてもらうというちょっと変わった趣向のクラブ活動的なクラスです。
そして、taskの合間に垣間見る犬たちのごく自然な会話から、犬たちのコミュニケーションを人が学び、また、Teaching dogと呼ばれる犬たち(いいですか、すべての犬がTeachingできるんですよ)による犬語を犬に学ばせる機会を与える場でもあります。
コミュニケーションクラスを機能させるには、α、β、ωという少し重要な役割を担う犬たちの存在は捨てて置けませんが、人が意図的に作り上げることはできないといいます。
ωはまだしも、α、βは、一歩間違えば問題行動のある犬として捉えられることが多く、その素質を伸ばす前に訓練やしつけによって摘み取られることが多いのも事実だそうです。
(リデルは幼いころから犬犬犬を求める犬で、それがβの素質に由来するらしい?)
このような実際に機能するコミニュケーションクラスを作るには、犬を育てるのには2年余りの歳月が必要だと思うし、理想とするクラスを作れる犬がいるかどうかにかかわってきます。このクラスの犬たちすべてが犬語を犬にも人にも教えてくれる堪能な先生たちなのです。
それから、このクラスは現在、定員いっぱいです。この曜日のボスはへちまこではなくFさんというtask専門の先生となります。
リデルとのセッションはへちまこの個人的なセッションとしてお受けしてますが、明確な身分開示のない方の依頼はお受けしてません。また、十分な人同士の話し合いでTeaching dogを必要とする犬かどうかも決めさせていただいています。
“どう、わたしからうばってみて。”リデルの挑発を楽しそうに受けるオーパス。以前のオーパスは、犬とのかかわり方にいまひとつぎこちなさがあったが、ずいぶんと犬らしく自分を表現するようになったという。リデルもオーパスの動向を以前ほど監視しなくなってきた。オーパスを監視してたのは単にnewfaceというわけではなく、オーパスの不安定な犬語がリデルにはストレスとなり、ストレスは群れの安定を妨げるからだ。だからと言ってオーパスを排除するということはなく群れのメンバーとして扱い、オーパスの行動が安定するように教育をしていく。βやωというタイプは遊びをとおして犬語を(カーミングシグナルだけではない)相手に学ばせていく。それを目の当たりにする人はTeaching dogという存在の不思議さに驚く。太助を迎え入れるのと違い、オーパスはいまだにリデルから体当たりをかまさせられるところがある。
リデルにとって苦手なことがあるとしたら、それは、狭い空間での初対面の犬との接触で、獣医の待合など鬼門中の鬼門になります。あれほど犬とのかかわりを求めるリデルであってもそのパーソナルにはうるさく、とくに無遠慮な近づき方の犬には退けるための威嚇の声を上げることがままあるのです。リードによる抑制があることもかかわってますけど。(その前に近づくなシグナルはでていますが、それを読まない犬と人が実に多い)
たぶん、こんなことを許す?相手にはやんわりと近づけにないようにお伝えしますけど、ここで常套句の『うちの子は大丈夫』は、やめてほしい。
『私の犬は、フレンドリー』という、曖昧な言葉の不安定さがこわいです。
小型犬のメンバーのまろとパル。オーパスはクラスに入りたてのころ、小さな仲間に配慮がなく、蹴散らしたり、やたら大きなアクションで怖がらせてたが、セルフコントロールができるようになってきて、小さなメンバーに配慮できるようにまでなってきた。人へのコンタクトばかりを教えられてきたオーパスにとって自分でその場に合った振る舞いを選択するということは新鮮な経験なのかもしれないと思う。まろは“向こうに行け”と、堂々と伝えられるようになったし、パルも人と何かに取り組む楽しさを学んでくれると思う。
犬は、自分たちの言葉を知っているはず。でも、自ら使う環境がなければ使えなくなるのは当たり前。人の指示ばかりを聞いていれば、確かに安心で安全な人との暮らしはできるでしょう。でも、対人の関係をよりももっとリアルな対犬との関係を隅っこの方で観ていると、充分に社会化された犬たちなら人の介入なしでも安心で安全な群れとしての機能を見せてくれると思うのです。
オーパスの飼い主と遊ぶリデル。人と遊ぶのも楽しいと教えてきて本当によかったと思えるときですね。
リデルは人と遊ぶ時には同族と遊ぶ時より力を加減してくれていると思います。人と犬は違うということを学習できているから、安心で安全に人と遊べる犬に育つんじゃないかなと思うのですが。これだって人に対するフレンドリーさがあると思いますけどね。
キャンディもある程度の自制ができるようになって、ママさんとtaskに集中できる時間が増えてきました。このぐらいはできますっていう、キャンディの自信ありげが
ですね。
周りの雑音を自分でシャッタアウトできるようになったのね、キャンディ。この日のキャンディは、リデルに妙な挑発行動もせずリデルがそばに寄ってても上手にカーミングしてましたね。
ですね~~。
犬が好きだというなら犬に何も教えないで犬だけの社会を見てみるといい感じています。
いまこのふたりの間にあるのは、言葉に惑わされないノンバーバルな犬語の世界。
犬語は、やはり人のために非ずであるのだろうと思えます。いくらきれいな言葉を使って犬たちを表現しようが、それは、犬への擬人化にすぎないと思えるのです。犬語の世界は実にシンプルであるけど、人には見えないわずかなシグナルが大切なんですね。
人の介入?まぁ、自制ができない犬同士の場合は危険ですから介入してあげてください。特に初対面ではストレスがかかりますから。
では。
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コメント
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へちまこさんこんにちは。
いや~、おっしゃるとおりだと思いますね。
おとな犬はやたら初対面の犬と遊ぼうとはしません。
いつごろからそうなるんだろうと思っていたら、保護犬ライちゃんは、8ヶ月くらいになってて、けっこう早いんだなと思いました。
遠くからお辞儀をして、その犬がお辞儀を返してくれなかったら、近づきませんね。
近づくなシグナルを読めるかどうかというのが、人も犬も重要だと思います。
投稿: グラ | 2010年4月22日 (木) 07時27分
「お友だちなんだからみんなと仲良くしなさい」
子育てを通して、私はどうしてもコレ↑が理解できませんでした。
お互いを尊重しなさい、他人に優しく接しなさい、
それなら分かるんだけど。
ましてや、犬同士で「ほらほらオトモダチよ。ちゃんとご挨拶できない子はダメよ~。」もないもんだと思う。
よ~く見ていると、犬たちは微細な動きで「オッス」「よぉ」とか伝えていたりするのに、人がそれに気付かないだけだったり。
>>リデルは人と遊ぶ時には同族と遊ぶ時より力を加減してくれていると思います。
はい、その通りでした。非常にソフトでしたよ。
投稿: ルークママ | 2010年4月22日 (木) 14時16分
グラ博士、こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
なんだかみなさん、社会化っていう言葉を勘違いしている方が多いんでしょうかね~~。
犬を人の子どもの理想形に(誰からでも愛される子?誰とでも仲良くできる子?)当てはめようとして、結局は犬嫌いな犬に育ててしまうような…。
ライちゃんのように相手のシグナルが読めるように、手助けするのが飼い主さんの責任だと思うのですが。そのためには過度な擬人化はやめてほしいと思っています。
>>近づくなシグナルを読めるかどうかというのが、人も犬も重要だと思います。
まったくもって同感です。
犬たちが無駄に争わないようにしてほしいものです。
投稿: へちまこ | 2010年4月22日 (木) 16時13分
ルークママさんへ。
>>「お友だちなんだからみんなと仲良くしなさい」
あああ、私は母親からよく言われ年代ですよ。
一個人として尊重することは大切だけど、仲良しっていう感覚は違いますよね。
犬たちのおたがいが気持ちよく過ごすって、やたら相手のパーソナルを犯したりしないことっだって、彼らを見てるとわかりますよね。
リデルは、単に行きかう知り合いに会うと、相手の方に首を下げるのですが(少しフリーズしますが)その仕草が「獲物を狙うようで怖い!」と、いわれたことがあります。
この首を下げるシグナルの重要さがわかってくれる飼い主に出会える確率は、非常に低いです。
またこの反対の近づくなシグナル…。
このブログの2枚目の画像の3頭のシグナル。もうもう、見ていて感動する私って、やはり犬バカなんだと自覚してます。太助もオーパスもリデルも、あんたら犬でよかったよ~~。
>>はい、その通りでした。非常にソフトでしたよ。
ありがとうございます。人は犬と違うんだとリデルは思っているようで、労わってくれるようです。
投稿: へちまこ | 2010年4月22日 (木) 16時33分
こんにちは。
仲良くしてほしいと思ってた一人です
私もあどあと一緒に犬語を勉強しないと間違った対応してしまいます。
秋田のゆいちゃん予想以上のおっとりさんでした。
あどあの方がどうしていいか分からないって感じの対面でした。
投稿: あどっち | 2010年4月23日 (金) 23時19分
こんばんは~~あどっちさん。
犬は人と違うから、自分を押し殺した博愛主義なんてことはできないと思いますけど、その子なりの平和的なつき合いはしたいと思っているみたいです。
>>秋田のゆいちゃん予想以上のおっとりさんでした。
よかった~~
リデルはタイトな部分が多すぎますから、ゆいちゃんのような落ちついたお姉さん的な子のほうが、あどくんをうまく導いてくれると思いますよ~。
あどくんは、なりは大きくても繊細な子ですもの。おっとりさんのほうがあどくんにもストレスがないと思います。良い関係が築けるといいですね~~。
投稿: へちまこ | 2010年4月25日 (日) 00時03分