
ねぇ~、おねいちゃんのそれって、どこの?イエモンの?わたち、ゴゴチーが好きなのに、へちまこがイエモンよこしたの…ねぇ、ちょっと、はしっこかじらせてみて…
犬って、同じように同じおもちゃ与えても、他犬のがよく見えるのは人の子どもと同じみたいですね~。
でも、人の子の知能はすぐに犬を追い越してしまいます。
犬は人の子どもらしい時代のまま大人になってくれるから、無垢な存在と言えるのでしょうかね~。
上の画像は、ヒトの子ども同士の関係で擬人化すると…
かして~、わたしもぉ、やりたい~ と、自分のものを放り出してチェシアが来たところです。
リデルの表情も柔らかで、しっぽも上がってないのが写ってはいませんが、背線の緊張もなく、しっぽの付け根が上がってないことで、この状況に対して嫌悪を表してはいないと思います。
いいよ~ いっしょに噛む?でも、はしっこだけよぉ~と、言った感じですね。
微笑ましいでしょ( ´艸`)プププ
9月14日付けの記事「それぞれの表現が楽しいね」で、セッションを受けていた柴犬男子は、チェシアやリデルがこの遊びに誘ってもこのフタリの意がわからず、一度、自分のものにしてしまうと、くわえたままうろうろするばかりでした。
独り遊びは、子犬期に非常に重要な趣味(特に咬む趣味)として、子犬にその機会を与えなくてはなりませんが、人の子も独り遊びばかりでは諸々の社会性が育ちませんよね。
人の子も犬の子も、同じ仲間と遊びをとおして学ぶことはたくさんあるだなぁ、と、犬たちを観ていると思います。
子どもの中には、独りが好きという個性もあるし、広く浅くよりも狭く深くのつき合いを好む子もいます。
我家で生まれた子犬でも、すべてが犬同士の遊びが好きではなかったようで、特にワンダーは孤高の子犬でした。(これを大人な子犬というそうです。ほとんど同年齢の子とは遊ばなかったですね)
犬も初対面から気があって遊びに誘いあう時もあるし、走りっこに誘い出す子もいます。
それは年齢に関係なく(年寄りはよほどのことがないと走らないでしょうし、嫌いな子もいるでしょうし、大人な子犬もあまり走りっこしないかな~)その子の個性である、と、へちまこは思っていますし、リデルたちの同族同士の関係からすべてが興奮と危険とストレスのある、追いかけっこばかりではないと思っています。
当ブログ内の記事 Play is Instinctive をご参照くださいね。
へちまこはアンジェラ先生のセミナーで、犬に攻撃的な犬が、ωの犬によって攻撃的な犬語を修正する動画を観たことがあります。
広い広いランのような場所で、マズルガードをつけた攻撃性のある犬と優しげであっても心の強さを持つゴールデン(こちらがTeachingDogです)
そのゴールデンのやることは「ねぇ、いっしょに走ろう、走ってごらんよ」でした。
最初その攻撃的な犬は、ゴールデンにガナリたて、吠えたて、咬みつかんばかりに飛びかかろうとするのですが、ゴールデンは走りっこに誘い続けるのです。
それはまるで、牛若丸が弁慶の長刀?を、ひょいひょいよけながらも、このことを楽しんでいる、といった感じでした。
そのうち攻撃的とされた犬は、ゴールデン追いかけはじめます。
しめた、やったぁーーーと、言わんばかりにゴールデンは走りだし、後を追う攻撃的とされた犬はいつの間にか、同族と走るという喜びに満ち始めます。
そして、しばらくして攻撃的とされた犬はマズルガードを外しても、ゴールデンに襲いかかりもせず、追いかけ追いかけられの楽しげな走りっこをするのでした。
これは何を意味してるのでしょうか?
攻撃的とされた犬は、自由してもらってストレスがなくなったから、犬に攻撃的に振る舞わなくなった?
それもあるかもしれませんが、そればかりではないと思います。
だって走りが好きな子であれば、独りでも走るでしょう。仲間などいらずに…。
でも、人は人にしかなれないので、この犬を走りっこに導くことはできても、同族へ愛着は教えることはできないのと思うのです。
へちまことしては、犬本来が持つ仲間ともに走り狩りをするというチームプレイな走りを、遊びという形で思いだしたのだと思うのです。
そしてそれが単に楽しい。
同族との走りがこんなにも楽しいなんて…という感じが伝わってきました。
攻撃的とされたその子の犬語の表現は、単に、犬の社会を知らないだけのことだったんだと思いました。
走りっこで、忘れかけていた犬語を思い出すことができたケースですねぇ(o^-^o)
人だって、童心に帰ってバカなことやる人いますよね。
特に家は男子が二人いますから、その友だちを観ているとうちの男子を含め、アホカいな、と、思うくらいバカなこと仲間でやっています。もう成人して何年も経つのに…。
犬だって、童心に帰る時ぐらいあるでしょうし、追いかけっこは子犬の特許ばかりではないと思いますけどねぇ~。
だって、さまざまな犬たちの交流を観ていると見えてくると思うのですよ。
その安全な走りを見極めるために、数々の犬同士の会話を人が知るべきなんだ、と思っています。
犬をよく観ることとは、自分の先入観なしに、また、本や自分の好みの犬、または自分が理想とする犬であってほしいという気持ちを、どこかにおいておかないとできないものなんだぁ~と、へちまこは思っとりますですよ、はい
リデル?ああ、あの子はへちまこの理想とする犬ではないでした。
あの子は単に犬なだけだと思っとります。
犬以上でも犬以下でもない…なんてこと言った人がいましたが、リデルはその通りの犬である、と、へちまこは思っとります。
これは、だんだんとチェシアが大胆になって、リデルから、これを取り上げようとしはじめています(チェシアの耳毛がビジュアル系かぶれな茶色に染めたみたいになってるのは、まだ子犬毛だからですよ。けっして不良ではありません)
なによ、あんた、はしっこだけっていったじゃない(`ε´)
と、ちょっと、気分を害してるようですね。
チェシアがボトルを引き出したので、それに気分を害してるんですね。ふたりで端っこを仲良く噛む…見たことありますか?この時には引っ張らずに仲良くカミカミするんですが、どちらかが自分のものしようとすると、その均衡が崩れます。
リデルは身体も引き気味、目には少々困惑が見えます。
首の筋肉の緊張もあるかもしれません。
口角の引きの違いが一番初めの画像と比べるとわかりやすいと思います。
チェシアのリデルを見つめる目が、挑戦的ですよね。
こうして自分の力を試しているんですね。
いや、やっぱし、これがいい、おねいちゃんはイエモンにして!
チェシアはどこまで平気かを推し量っているところだと思います。
この遊びをとおした犬たちのかけ引きは、後々、自分を守るための学びにもなるし、自分の力を知ることにもなります。
犬はバカじゃあないと思うし、犬同士であってもバカな犬はいないと思います。
だって、相手の表情を読んでいると思うし、、相手の意図を観て理解しようとしていると、思います。
そして、人間以上に相手の表情の動きや力のかけ方に敏感だとわかります。
o(#゚Д゚)_‐=o)`Д゚)・;寸前です。
リデル、いい前歯の出しっぷりですね~(^-^;
目なんかも、見据えています。
口吻のシワ寄せもね、こわいね~ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
しっぽも背中と並行に上がってきてます。
ここで強い犬であると認識できますね。
どこも引いてはいないでしょう。
つまり、守りに入っていないということになります。
ペットボトルを抱え込んでしまわないで、堂々と掲げて威嚇してますよね、リデルは。
とれるなら取ってみろっ
その代わり覚悟しろよっ
ですね(CSIマイアミのホレイショ・ケインでお願いします)
守りに入る犬は、背中を丸め、顔をそむけ、白目を出し、グルグルと唸りますがその唸りもどこか不安げなものです。
できることなら、逃げ出したいけど、頑張ってもみようかとかなりの葛藤が見られるかもしれません。
リデルの耳は、これはかなりのご立腹を表していて、この耳が一瞬前を向いてすばやく引き倒されたら、リデルの実力行使ですヽ(#゚Д゚)ノ┌┛)`Д゚)・;
チェシア、口を離しました。
このあと、チェシアはあきらめましたが、リデルがこのボトルに飽きて棄てて置いたら、うれしそうに拾って噛んでいました。
これはこれで平和な関係でしょうね~(^-^;
え、すとれす?
精神衛生上、この二頭の関係にストレスが見受けられると思った方は、ご連絡ください。
チャンチャン

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