「怒りと暴力」
「易しい愛の遮断」で登場した東大の偉い先生のお話の内容が知りたいというメールがありましたので、いっそのこと記事としてアップすることに。
ただし、このシンポジウム2004年のこと。
でも、このころから「動物の愛護及び管理に関する法律」の改正に向けての礎があったんですよね(いやもっと前からあったんです、そして少しずつ変わってきた動愛法なんです)
いや、あの頃のへちまこなどまだまだ新参者。
あちらこちらのセミナーや講演会やシンポジウムなどに足しげく通いました。
そして犬のトレーニングに関するセミナーにも…
そういったところでいろんな人に会い、たくさんの著名な方のお話を聞き、そうして広げていくことのできた世界でした。
その頃の出会いが今でも続いていて、度々のお力添えに感謝の至りです。
いろいろな場でお会いするうちにお顔なじみになり、時にはご鞭撻をいただき、時には方を叩いてくださる諸先輩方…ありがたかったです。
まぁ、そんな、ひとりごとはさておいて、「怒りと暴力」をどうぞ。
シンポジウム 動物の愛護及び管理に関する法律を考える:基調講演より
東京大学名誉教授 唐木英明先生(やっぱり偉い先生ですよ)
人は、なぜ人を殺すのか?
人間は、その昔、殺されるものだった。自分の命の継続のためにはたの生き物の命を奪って、取り込まなくてはならないからだ。
まだ文明を持たないころの私たちの祖先も、他の動物に狩られる存在に過ぎなかった。
そもそも、動物が動物を殺すということは生きるために必要なだけであって、テリトリーや♀をめぐる争いは、決定的な殺し合いにならないと言われている。
それは「同種殺傷防止機構」が働く、と、かのロレンツ博士も説いている。
しかし、インドのハヌマンラングールやチンパンジー、ゴリラ、ライオンの子殺しには「同種殺傷防止機構」は働かない。
この動物たちに共通するのはハーレムを形成することで、新しくアルファーになったオスは自分の遺伝子を早く残すためには前ボスの子どもを殺さなければならない。
それは、子育て中のメスは発情しないからで、これは一見残酷なようだが、多様な遺伝子を増やすためには必要なこととされている。
では、少々物騒だが「人殺しの起源」はどこに…。
人が人を殺すのは食べるためではない。
人間は生命維持のために、やはり、他の動物を殺していた。この狩りに人殺しの起源があるのだ。
道具(武器)がないころ人は殺しあわなかった、と、いうより、決定的なダメージをお互い与える必要がなかったのだ。
だから、そのころの人間には「同種殺傷防止機構」はなかった。
しかし、その後、進化の短い期間で狩りの武器を発明した人間は、これを人間同士の争いに使った。
「同種殺傷防止機構」を持たない人間は、この後、人を殺すようになってしまった。
そして、中世に入ると、キリスト教では野獣は悪魔や罪人と同じで、動物を愛護する義務は人間にないとされていた。
貴族や一般民衆でさえ、楽しみのために動物に苦しみを与えていた。
17世紀、デカルト派の哲学では、動物は肉でできた機械で痛みや苦しみを持たないとされ、人間だけが意識(心や魂)を持つ存在とされていた。
18世紀には、娯楽のため日常的に動物虐待が平然とおこなわれた(動物たちの受難の時代だった…特に犬などは人によく懐くので格好の餌食だった…生きたまま焼かれるは裂かれるや)
18世の後半、ロックという科学者が「心はからだの働きである」として、人間と動物の境界が小さくなって、子どもたちへの動物愛護教育が始まった。
前世紀をひっくり返す物語も書かれ(バンビ、小鹿物語)、肉食への疑問、狩猟民族としての人間性への疑問にもつながり始めた。
そして現代、人間と動物の境界は更に小さくなり、
動物は人間と同じように苦痛を感じる
遺伝子レベルでは人間と他の動物との差は小さい
魂は脳の働きであり、進化の結果生まれたもので、動物も魂を待つ(魂の定義)
でも、どうしてだろう?子どもや動物への虐待は続いている。
人間は生まれながらの悪なのか?それとも善なのか?
動物虐待の理由は大脳にある…
ここまでの先生の話しは、人間は、急激な進化の過程で文明という武器を手に入れたことになる。
でも、その代価に「同種殺傷防止機構」を遺伝子の中に組み入れることができなかった。
だが、すべての人間が人殺しや動物虐待をするわけではないし、その違いは、いったい、何かということになるのだが…
先生は、愛護も虐待も大脳の働きであるという。
人間も動物なんだから本能があって、その本能を満たした時にドパミンという脳内物質が報酬として与えられる。
行動が成功した時にドパミンはたくさん出され、人間はそれが快感となり、またそのことにチャレンジしようとする。
しかし、毎回成功するわけではなく、失敗もあるわけだから思い通りにいかないとドパミンの排出は少なくなる。
失敗が重なって、自分の思い通りにならないことが続くと、これがストレスとなり、怒りや不満の源泉が出来上がっていく。
この源泉に過敏に反応する性向を持つタイプの人間がいわゆるキレる…人間ということになる。
不快感を募らせる人間は、早くドパミンを手に入れたいから記憶の中にある、今まで一番手っとり早く快感に至ったことをしようとする。
人間も快楽を求めるのは本能だというなら、一番直結するのは、食欲=つまり何かを殺すこと。そして、性欲=つまり自分の遺伝子を強引に残すこと。
これらは暴力的要素を多分に含んでいるから…
「誰かを思い切り殴ったらスカッとした」
「動物を殺したら、スーッとした」
と、これらが動物虐待につながっていく。
ちなみにこの暴力的衝動は男性ホルモンが関わっている。
私たちの脳は、記憶をしていく。
その記憶の何によって快感を得たのかが、大切なことにつながっていくのです。
モノより想い出を
私たち大人という人間が子どもたちにしてあげられること
むやみに人の命を奪ったり、動物を虐待しない人間になってほしいから…
18世紀にも動物愛護の教育は子どもたちになされていたけど、それでも悲惨な動物虐待は完全にはなくなっていません。
「同種殺傷防止機構」の働かない人間は、教育することと想い出を作ることにより、動物や同種に対する虐待をしない脳を育てなくてはならないのです。
大脳辺縁系に残る記憶は、ひとつのの救いになるのです。
おぼえることはみっつ
ひとつは、言葉で説明できる記憶:知識:漢字や歴史、地理、規則のような学校の勉強。
そして、想い出:誰に会った、何をした、何を感じた、というもの。この中には家族や友だち、動物、自然とのつきあいが含まれます。
言葉で説明できな記憶は、やりかた:自転車、水泳、キャッチボールなど。これらはけしてすぐにはうまくいかないけれど、努力したら達成できること…これには練習すればできるようになることが含まれます。
このみっつのことは、社会性や教訓として生かされ、共感する心を育ててくれます。
愛が生まれるためには・・・
私たちはいろんなものに愛着を感じます。
これが愛で、親子や夫婦、親族、隣人、動物たちとの記憶で、この記憶が快感で楽しい思い出であれば、ここに私たちは愛着を感じているのです。
この愛着はパゾプレッシンという、やはり脳内物質のひとつで、ドパミンと同様、心地よい快感を与えてくれます。
私たちは子どもたちや動物たちを守るために、子どもたちに記憶という白いノートを渡し、そこに教育と経験として、知識や想い出、そして規則や罰側を記憶させていかなくてはならないのです。
記憶のノートの中には、憶えるみっつのこと があって、うまくいかないことが重なっても、相手の気持ちや自分の気持ちをうまく伝えようとするスキルになります。
またストレスを愛情や愛着により回避させ、うまくいかないことや我慢することのストレスに慣らしてあげるのです。
我慢する脳は社会を作る脳なのです。
その脳をつくるためには「自分勝手な行動は罰を受けるよ」(この罰は社会的な罰で体罰や叱責ではない)と教え、ストレスによる恐怖を母親や父親、取り囲む大人が充分に愛情をかけて、それほど怖いものではないと薄めてあげるのです。
自分勝手な行動を我慢した報酬は、それを認め、ほめることなのです。
そして、幼い頃に他の動物たちとの良質な交流を教え、つらいとき、悲しいときにその動物たちとの想い出が生かされ、虐待をしない人間に育っていくのです。
…END…東京大学弥生講堂にて。
この記録は、へちまこが録音した部分とそれをまとめた部分から構成されています。
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コメント
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はじめましてm(_ _)mゆりっぺ★です
今も動物虐待に心を痛め、被害をくい止めようと頑張る団体様に、こちらの記事を紹介したいのですがよろしいでしょうか?っ( ̄・・ ̄)てか虐待の記事を読むだけで頭がフリーズしちゃって…悲しいですが…。
投稿: ゆりっぺ★ | 2012年8月20日 (月) 12時55分
ゆりっぺ★さんへ。
はじめまして、コメントありがとうございます。
この記事をご紹介いただけるようで、恐縮しております。
稚拙な記事ですが、何かしらのお役に立つなら光栄でございます。
ただどちらの団体様か、ご一報くださると、大変ありがたいです。
では、よろしくお願いいたします。
投稿: へちまこ | 2012年8月20日 (月) 21時49分