注視遮断は誰でも行ってることでは?
さて、愛情遮断は許せないけど、注視遮断なら許せるということを考えてみます。
愛情遮断は、相手が愛を求めているのにその愛に無反応や無視をすることです。
つまり、相手の思いを遮断すること。
愛を欲しがる、与えないとならない対象に愛情を与えないでことです。
ネグレクトと呼ばれる虐待行為がこれに当たります。
(この話は、このカテゴリを隅々まで読んでくださいね)
毎回、話すことですが、この人間的な愛情遮断と犬に対する愛情遮断を混同する多くの人間がいるわけです。
また、毎回言いますが、子犬や虐待、極端に臆病な犬にはこのツールは普通使いませんし、へちまこも推奨しません。
それにしても、言葉を変えた注視遮断なら許せる?
同じことをしているのにおかしな話です。
犬のサインを見落とすな、とはよく言ったもんで、たとえここで、犬の本当に欲しいものを食べ物にすり替えたとしても、一時しのぎにしかならず、あいかわらずのストレスのサインが見られれば、また、ストレスのコップは溜まりだしあふれだすころには噛まれるのですから。
あ、食べ物を使うことを否定しているのではなく、へちまこはむしろバンバン使う方です。
バンバンですよ
犬が正解を引き当ててくれたら、バンバンドカドカあげちゃいます。
おっと、話がそれました。
テーマは、注視遮断は誰だって行ってるじゃない・・・です。
物理的に、ケージに閉じ込める=注視遮断ですよ。
犬の好ましくない行動に無反応を返すのは=注視遮断ですよ。
マズルガードをつける=これも部分的な注視遮断。
足に噛みついてきた犬を振り払うぐらいに歩く=注視遮断です。
うれションする犬を落ち着くまでかまわないのも=注視遮断。
犬の行動や反応に、いちいち反応を返さないことが、軽い注視遮断を行っているわけです。
で、どうして注視遮断を行うか?
犬に落ちついてほしいからです。
犬たちは、興奮する個体や危険な匂いを発する個体を嫌います。
その第一選択が反応を返さないまたは逃げるです。
犬は平和主義ですから、直接対決に至るまでの過程には、さまざまなボディ・ランゲッジを駆使し、直接対決を避ける努力をするわけです。
でも、犬がそれを忘れているなら、または忘れさせるほどかまい過ぎているなら、犬語を取り戻してもらわないとならないと思うのです。
小さな嫌だという犬からのサインを、食べ物によって削除されてしまったら、どうなるのか?
小さなサインをすっとばせば、ストレスレベルの第7の行動の噛むと言う行動が、ディフォルトしたり、過剰なアイコンタクトや分離不安を起こしたり、その犬種的特徴が極端に現れてきたりします。
そのサインが表面化する前に、そのずっと前に、犬との直接対決を避けるべく、逃げると言う注視遮断を行うにすぎません。
いろいろな場面での不適切な行動が多ければ多いほど、注視遮断の数が増えてしまのは、犬の小さなサインをほおっておいた結果だからだと思うのです。
へちまこは、まず飼い主が噛まれないと言う交通整理を行い、噛まれない自信をつけてあげ、犬には噛まなくてもいいんだ、噛まないでも自分の思いはわかってもらえるんだと、犬の感情を整理させるために注意遮断を推奨しているのですから。
へちまこの、注視遮断の第一選択は人間は噛まれないように逃げるですから( ̄ー ̄)ニヤリ
では。 自信がついてきたら(人間は同じではないけど、寄っていい人を見極めることができるよ、の自信)、放課後のダンス部に入部希望かな?
« 愛情遮断を誤解しないために。 | トップページ | 2013年前期教室最終日でした。 »
「咬んでたけど咬まなくなったワンコのこと」カテゴリの記事
- 注視遮断は誰でも行ってることでは?(2013.06.09)
- 愛情遮断を誤解しないために。(2013.06.05)
- 愛の遮断について、どうしちゃったの解釈?(2013.02.21)
- K君のその後・・・(2012.10.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント