その犬のほとんどが長めのリードでダラリと緩んでいて、飼い主も急かすことなくのんびりと歩いているのを見かけます。
番犬をしている犬も多いのですが、飼い主たちお互いが接近しすぎないようにしていて、すれ違いで吠えかかられる率は川崎よりも低いです。
犬同士出会い頭というシチュエーションが少ないので、リード長くした散歩に付き合えます(^-^)
で、田舎の家から少し離れた所に来ると、必ず、犬たちが少し緊張し少し足早に先行する場所があります。
そこは2年ほど前に外飼いの中型犬がいた家で、現在は引っ越されて更地になっています。
番犬なので何かあれば吠えるという仕事に就いていたので、当然、我が家の犬にも吠えかかりました。
ここを初めて散歩した時に吠えられて以来、チェシアはこの道を長い間避けていました。
引っ越されて更地になったので、ここも散歩コースに組み込んだのですが、ここにいた犬がいなくなって久しいというのに、チェシアもリデルもこの辺り間近になるとタタッと先行します。
そして、毎回シンクロしたような2頭の確認作業。
それから、ちょっと敷地に入らせてもらい、匂いでの確認作業はチェシアの仕事です。
目で見ればわかりそうなことなのにそこは犬、やはり匂いでもっての確認はとても大切なことのようです。
フンフンフン、このあたりにアイツの家があったのよね・・・・
番犬君がいなくなって2年近く経つというのに、毎回、この行動をします。
以前の私なら先行することに対して、脚側を要求し「大丈夫」なんて声をかけていました。
しかし、この人間が発する「大丈夫、私を見て」という声ほど、犬を不安にするものがないと気づいてからは使わなくなりました。
えっ、それって飼い主として認めてもらえなくなるのでは?
リーダーとして認めてないからでは?
という声が聞こえてきそう(^-^;
自分が子供の頃、お化け屋敷に親と入っても恐怖は完全になくなりませんでした。
親が私たちがいるじゃないと言っても、怖さはなくなりませんでした。
例え、心の底から信用し信頼していても恐怖はなくならなかったのです。
その場を親にしがみついて乗りきることはできても、恐怖はそのままでした。
そして、愛情があるから乗り越えられるというのも違うものではないかと思うのです。
チェシアもリデルも番犬君の存在は、恐怖とはいかないまでも、警戒しなくてはいけない相手であったでしょう。
私が大丈夫を保証しても、ここを乗りきったらごほうびでも、犬の中では大丈夫ではないのです。
犬自身が距離を調節し、どうするかという行動を選択し、犬として当然の行動で確認できて初めて安全であると感じとる必要があるのです。
「犬が大丈夫と感じる時」それを私も感じなくてはならないなあと、思った出来事でした。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
コメント