犬を介在に使うということ。
えへへ~、チーちゃんだよ、チーちゃん出番なの・・・(v^ー゜)ヤッタネ!!
≪この活動の記事は昨年12月の活動のものです≫
某市動物愛護センターとの協働活動のひとつである「動物介在活動」。
以前は、保護された犬の適性を選別し、「動物ふれ合い教室」に利用していました。
そうなると、譲渡適性が(介在にむく犬なら当然)あっても、この教室のため長期に渡りセンターでの暮らしになります。
この保護犬からということを行政側が数年前に撤廃し、現在はボランティア有志の活動となり、ボランティア会員の飼い犬の中でAAA適性のある犬で介在活動を行い行政と協働しています。
センター犬を介在に使わなくなった理由には、センターという場所は家庭ではなく、けして犬にとって幸福な場所ではないこと。
介在に利用する犬は、普段から低ストレスの環境(家庭)で幸福な暮らしが提供され、心身ともに苦痛や不快に曝されていないこと。
犬自身の行動の選択肢が許されていること。。。が、最低限の条件となると思いますが、センターでは、この部分のカバーが薄く、その犬たちを介在に使うことが疑問視され現在に至りました。
AAAに提供する犬はごく普通の家庭で育てられ、ごく普通に犬自身が幸福であるということが行動に現れる犬でなければ、それらを人間の子どもにに提供できなくなります。
いい、ちびっ子さん、先生の話は目で聴くこと!
また、介在をしたいのは人間であり、犬が選択した活動ではありません。
その部分を深く理解に導いててくれたのは、ASAET(動物介在教育療法学会)の的場先生による初めて受けた講義でした。
家庭ではないところに留め置き、被災犬をセラピー犬に、保護犬を災害救助犬に、保護犬を教育犬としてというのは、人間で言えば、救う代わりにその仕事をしろと強要しているとかわりないと思うのです。
保護犬なら、ごく普通の家庭に譲渡され、その先で各分野の素質が飼い主のもとで開花されていくものではないかと思うのです。
素質や適性のない犬を努力の末、達成させたという美談は人間のための美談であって、犬のものではないのですから。。。
そのトレーニングにも、犬に不快や苦痛を施して、人間の幸福のために利用することは動物福祉や人道的なことから大きくずれていると、私は思っています。
子どもたちに、私たちが犬を通して学んでほしいことは、犬に触れたい、知りたいという要求を満たす前に、相手のことを知り、相手の気持ちを思いやり、けして自分の要求のみを通さないということです。
中には、子どもの気持ちを考えれば、触れあいを提供しないのはおかしい、という考えも出ますが、子どもの要求を満たすことがAAAではなく、人のような言葉を持たない命あるものを、限りなく理解すること、人間のエゴの部分をコントロールできるように、私たち大人が見本を示す場だと思って活動しています。
ねえ、チーちゃんのお仕事ぶりはいい感じでしょヽ(´▽`)/« 三再びアンジェラがやってくる! | トップページ | 誰が育てたのかわからない保護犬と暮らすということ »
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