リデルのことを記せそうな気がしたから…
長い梅雨が明けて 久しぶりのお日さまだからか 今日はリデルのことを記せそうな気がした。
リデルは14歳と2ヶ月で もうこの世界にはいない…ここではない世界にいるはず
そして今日 やたらと明るく感じる空だから ああきっとそうに違いない
リデルのことを書けると思ったんだろう・・・夏の空だから
悲しいことを書くときに人は明るい日を選びたくなる そんなことをどこかで聞いた覚えがある・・・
多くの人がこの拙いブログに立ち寄ってくれいた。
その人に犬たちの言葉の世界を知る手掛かりになっていただろうか?
人とは違うコミュケーションで人のすぐそばで暮らす犬のことを少しでも知ってもらえただろうか?
犬語と言い表す犬の言葉の奥深さを知ってもらえただろうか?
14年前まだまだ犬には強要的な考えが多い中
私のあこがれで迎えたタービュレンは 子犬の形をしていたが 子犬らしからぬ思考も持ち合わせいた。
まだほんの子犬だけど 意思だけは強く 呼んでも来ない子犬だった😃
人よりも犬を好む犬だった。
人間のための犬という考えを改めさせてくれた犬だった・・・
それがたまたまタービュレンという犬種に過ぎないだけだった・・・
共感してくれる多くの仲間やアンジェラにも出会うことができた。
手を焼くことも多かったけど
リデルと私は概ねうまくやっていけていたと思う。
ああ 本当に多くのことを学ばせてもらって
もう少しこの世界にいてくれたら
犬のことをもっと学ばせてもらえたと思うが・・・
14年もこんな未熟な人間のそばで 淡々と生きていてくれたこと
それだけで私は幸福であったと思う。。。
たまに私の馬鹿さ加減を見透かすように
目つめるリデルがいないのは寂しいが…
なんだろう 多く語りたかったリデルのことなのに
記憶の中のリデルはたくさんで どれもこれも 花びらのように散じていく
明るく散っていくのだ
なぜだろう・・・そうか そうだ 犬だからだ
人とは違う言葉をもつ犬たちが 人にわかるように説明するのことはなくていい
分かり合うことが言葉だけではない それが犬語の世界だから
あの日 いつものようにリビングでリデルの前足をもって横になっていた
リデルが弱ってからは そうしていたから・・・
連日の寝不足でうとうとしてしまったんだろう
リデルの足がかすかに動いたようで 誰かが呼んだようで ふっと目を開けると
心臓の止まった リデルがいた・・・
私は呼びかけはしなかった・・・
一言 もう行ったのね・・・向こうの世界へと前足を握り返した
リデルが14歳と2ヶ月の物語を閉じたのは5月13日だった
その5日前にリデルと私とチェシアは長い影を落として歩いた
またいつか ここではないどこかで いつかあえるだろう
月並みだけど
さよなら そして ありがとう・・・リデル
これだけがすべて これがリデルへ贈る 私のすべての思いだから・・・
*今までご訪問いただいたみなさん、ありがとうございました。
リデルなき後、このブログをどうするか悩んでいますが、みなさんの犬育ての何かの参考になればと思い、しばらくは公開にしておきます。
また、#noteではチェシアやコメットとの日々、犬語の話等もアップしておりますので、ぜひ、訪問頂ければと思っております。
コメント
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実際に会えたのは一回だけど、リデルさんはずっと柊と私の先生です。
ハイパーなハスキーだった柊の少し成長した姿を
見てもらいたかったです。
Liddell The Dogでもたくさん勉強させて頂きました。
リデルさん、本当にありがとう。
これからはnoteも寄らせていただきます
へちまこさん、どうぞお体ご自愛下さいね。
投稿: 柊母 | 2020年8月 1日 (土) 17時39分