Liddell The Teaching Dog 123 サヨナラ子犬たち…子のつくすべての存在に祝福を。
明日、全ての子犬たちが旅立つ。
新しい家族に、またはその望みを一時預かりボランティアの人たちに託して。
見て、人を信じている眼。
たとえ、川っぱらで生まれても、ショップに並ぶ子犬たちからは奪われてしまうことの多い、子犬らしい好奇心に満ちた目は、本当の親とは違けど、それに代わるものをちゃんと与えてもらった子犬たちだからなの。
どの子もここへ来た時には、本当に小さかったわね。
ほんの子犬ちゃんだったけど…
忙しい職員さんやボラの人、親に代わって犬として生きていく術を教えてくれるリデルや、善良な一般市民の方々が君たちを育んでくれたのよ。
そら母、この子たちガブガブ噛んでこないでしょ。
これが兄弟や同族との関わりをちゃんと経験している子たちなの。
満面な笑みのそら母。
これが普通の子犬なんですね…ぽつりとそら母が言う…。
そうなの。この子たちは、ごくごく普通に犬との関係も人間との関係も善良に育むことができたからなのよ。
あの、モンスターちび子。すてきな名前もらってたわネ、リデル。
ペコちゃんだって…フフッ、かわいいわよね。
久しぶりにここへ来て少し臆してたけど、だんだんと地が現れて大暴れだったわね。
リデルは、子犬がたくさんの時には監視役で、それほど介入はしないのよ。自分が遊び相手にならなくても、子犬同士で遊んで仲間とうまくやるスキルを身につけなければならない時期なのね。
βなリデルはそれを監視するのが仕事。
それにこの子たち、犬としては何の問題もないけど、ペコちゃんだけは監視の対象のようで…
奥のペコちゃんと子犬の遊びを監視する、リデル。
遊びと本気の境界線を見ているんでしょうね。
ペコちゃんの方がひと月ほど早い生まれなので、そのぶん、脳みその回転や身体の使い方が先取してるから、子犬たちより少し有利なの。
だから、ついつい、押しが強くなるみたいなようで。
きわどくなると、すかさず、どこからともなく子犬の遊びに介入しにきます。
“ルール、守ってる?”(誰かに聞かせてやりたいリデルの言葉だわね~)
見ていて面白いのは、この介入でほとんどの子犬が遊びを中断できること。
誰に教えられたわけでもないのに、これが犬語の世界なんですね。
“おお、きたきた、あのおかた、はいはい、ペコはいい子にしてます。いじわるなんて、よわいものいじめなんて、してませんよ~~”
ペコちゃん、弱腰外交のまろに吠えかかりますが、リデルが近づくと…ピタッとその行動をやめるんですよ。
なかなかの賢さですから、ペコママさん、育てがいのある子ですからね~覚悟しましょう
ペコママさんの芯のある穏やかさが子犬育てにはうってつけですよ。
ペコちゃんの家族になってくださって、ありがとうございますm(_ _)m
まろ、今日はがんばりました。
吠えかかるペコちゃんを、勇気を出して退けました。
まろの大きな進歩です。
以前のまろはただただ逃げ惑うばかりでした。
まろ母もかばうばかりでしたが、母として犬飼い人としての自信がまろに通じたかもね。
いいんだよ、まろ。
悪い子になったんじゃなくて、ちゃんと自分の言葉で自分の思ってること伝えられたんだから。
子犬だからと、やさしくししなくたっていい。
無礼で礼儀知らずなら、君の言葉で伝えればいいのだから。
子犬たち。
もう二度と会うこともないだろう。
少し、大きくなって、日ごとに大きくなって、心も体も大きくなる。
子がつくものすべてが、未来への祝福を持っているのだろう。
リデルは、君たちに何かの切符を渡しただろうか。
犬として生きていける、未来への切符をだ。
いつか、どこかですれ違うことがあるかもしれない。
その時にリデルを思い出してくれるかしら?
君たちを見守り続けた…リデルをね。
ううん、忘れたっていい。
リデルも忘れるだろうから…
でもね、犬として生きることは忘れないで。
犬なんだから、すてきなのよ。
すばらしいんだから。
サヨナラ子犬たち。
世の中の、子として存在するすべてのものに、祝福を。
追記です。
子犬たちのことでは、多くの団体や個人ボランティアの方に手を差し伸べていただき、大変感謝いたしております。
多摩区のボラの方々、ありがとうございました。
しっぽネットさま、子犬たちの掲載、ありがとうございます。
個人レベルでのリホーム先を探して下さった方々にも深く感謝いたしております。
官と民、相容れないことも多々ありますが、収容動物に関しましては官も民もおたがいに力添えをしないとならない時期に来ていると感じた、今回の活動でした。
行政の市民に対する公平さというのは、順番であったり、申し込み順であったりします。でもそれは生き物ではない、紙の上のことなら公平ではありますが、今回のような、子犬のためにより良い飼い主を探すための公平さは失われてしまうのです。
どの子も、なるべくなら屋内で暮らせて、雑種だからと言って外へ出さないで、ジャンケンやくじ引きなんてことで、飼い主を決めたくないし、順番という公平な民主主義も子犬には不公平です。
人の望む公平さは、子犬にとって公平ではない…。
それなら、いっそのこと、民間団体に子犬を託す方が審査はより厳しく、全ての子犬に対してより良い飼い主を探すことができると思うのです。
くま太郎も当初の予定より、条件の良いリホーム先が見つかりました。それも個人レベルでの活動からでした。子犬のくま太郎を70代の人にはどうしても託すことができなかったのです。
犬を飼うこと、生き物を飼うということは、檻に入れ、リードでつなぎ、家に閉じ込め、人の癒しになるためにということではなく、限られた環境でどれだけ自由を与え、その動物を癒してあげられるかだと、へちまこは思っています。
癒してほしいなら、癒してあげないとね。
では、m(_ _)m
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